2011年11月12日土曜日

「吾輩は猫である」を訪ねて

新たなシリーズ投稿として、東京都を舞台とした小説にちなんだ場所を訪れてレポートしていこうと考えました。
初回は夏目漱石の「吾輩は猫である」です。明治38年1月に当時の文芸誌「ホトトギス」に掲載され、その後連載となったこの小説、文京区とその周辺を舞台に、自らを吾輩と呼ぶ猫が猫の視点で、その主人「苦沙弥(くしゃみ)先生」と周りに集まってくる友人や元教え子たちの「迷亭」、「独仙」、「寒月」、「東風」らとのやり取りを観察するんです。
それもただ観察するだけでなく、彼らの会話を面白おかしく批評するんだけど、猫の視点を通じて漱石自身が明治の浮かれた世の中を皮肉っているようでした。

この物語を読んでみると、いつの世においても新しい風と昔ながらの習わしとの間で確執があったり、あるいはどの時代も物事の本質みたいなものは変わらないんだなあ、といった考えてみれば当たり前なことも新鮮に感じたりもしました。
この物語、内容的には時事コメディとでもいうのかな?でも文語体が織り交ざっていて、私にはちょっと読みにくかったですね。読み終えるのに随分と時間がかかってしまったけど、読み慣れてきたらそれなりに楽しく読むことができました。

さて、ということで私が訪れたのは、苦沙弥の家のモデルといわれている文京区の「猫の家」跡で、ここは実際に漱石が吾猫やぼっちゃんを執筆したところだそうです。建物は愛知県犬山市の明治村に移築されてしまって、今は記念碑と猫のモニュメントが残っているだけなんだけど、すぐそばにはダムダム弾で苦沙弥を苦しめた落雲館のモデルになったといわれる郁文館中学校がありました。でも今から100年以上も前とはいえ、この地で漱石が「吾輩は猫である」を書いていたなんて、何だか不思議な気持ちになりますね。

ところで今日の総行程は、タマサイ経由で距離63.9km、総上昇344m、移動平均速度20.8km/h、最高速度43.3km/h、移動時間3h04m(recorded by garmin)。

日本医科大学の裏手にありました。感動です。
猫の家の記念碑

吾輩は猫である名前はまだ無い。裏の茶園に散歩かな?
猫のモニュメント

2 件のコメント:

  1. 文京区にあったんですか?
    まったく、知りませんでした。
    東京は、近代の歴史がいっぱいあります、
    変わるのも早いです。
    東京駅は、復元工事が進んでいて、来年10月には、見に行けそうです。青空

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  2. 青空さん、いつもどうもです。文京区の辺りは坂が多くて、結構いい運動になりますね。なんて...いつの間にか坂好きになった私です。

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